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玉野市役所
本文
大正8、三井造船所が宇野地区から玉地区に移り、従業員社宅が県道及び白砂川沿いに建てられ、造船の街として発展してきました。本校発足以来、造船所従業員の子どもが約半数を占め、関連事業所含めると約60達していました。 昭和44玉原地区住宅団地、翌45玉原企業団地、さらに48ら長尾地区住宅団地の開発が進められ、学区の産業や人口構造が大きく変容し、全生徒の60が玉原・長尾地区から通学しています。 現在は、少子化や造船不況のために学区から転出する家族が増加し、生徒数の減少が続いています。