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地域おこし協力隊インタビュー~観光協会~

ページID:0039822 更新日:2024年3月13日更新 印刷ページ表示

ビジネスマン視点の新たな地域おこし協力隊が誕生!

北島さん1

キーワードは生まれ故郷の「直島」

令和6年から、玉野市では2名の地域おこし協力隊が活動しています。
パイオニアとなる第1期生の地域おこし協力隊として観光協会業務を担当する北島さんにお話を伺います。

北島 武彦 さん

玉野市地域おこし協力隊(観光協会業務)
岡山県岡山市出身
東京・大阪で30年間会社勤めをしてきたが、退職後は地域に密着した仕事がしたいと思い、実家(岡山市)の近くの玉野市へ移住。

 

「ネクタイをしめてスーツを着て、満員電車でヨレヨレになって東京駅で吐き出されて、フラーってなりながら会社に行く、あの4コマ漫画の世界を30年ずっと続けてきました」

そう話す北島さんは、東京の大手メーカーで営業やマーケティングを担当してきました。50歳を過ぎた頃、この後の人生をこのまま会社員として東京で過ごすのか、東京以外で過ごすのか、夫婦で考えるようになったといいます。

 


 

妻と今後の人生のことを考えるようになった時に、「東京は出ましょう」と、結論はわりと早く出ました。
じゃあどこに行きましょうかという点については長い時間をかけて妻と話し合いをしました。
東京近郊の山梨県や長野県や静岡県といった所に住まいを持ち、平日は東京で働き土日は田舎で過ごすといった働き方も検討しました。
最初の頃は会社員を引退したらそのまま伊豆や長野に住む、という人生も考えました。

ところが現地を見に行ったところ、どこも自分にはピンと来なくて。

妻から「気候もいいし、あなたの実家がある岡山県はどうなの?」と言ってくれたことから岡山県が候補地となりました。
妻から私の実家がある岡山県を提案してくれて、私には反対する理由はありませんでした。
その点は妻に感謝しています。

 

そのあと、岡山県内の色々な場所を妻とまわりました。

私自身生まれ故郷が直島であるということで「絶対無理!」という理由がない限り玉野市にしようと強い希望を持つようになりました。結局の〇×△を付けていくと、どの地域にもあるんですよ。だから二重バツがなければ玉野市にしたい、という感じで玉野市に移住を決めました。

 

私の生まれ故郷は香川県の直島で、育ったのは岡山市です。

40歳過ぎくらいから、長期休暇を直島で過ごしたり、岡山に帰ってきても実家には数日立ち寄るだけで、この玉野で長く時間を過ごすようになりました。直島への拠点ということもありますが、学生時代に岡山市へ帰ってきた際、よく玉野へドライブに行きました。「若かりし頃の思い出のまち」なんです。

今までやっていたとことは全く違う、地域に役立つ仕事がしたいと思って玉野市へ

会社を辞め、次はどんな仕事がしたいか考えた時に、BtoBの世界でひたすら売上と利益を追い求める30年間と全然違うことをやりたいというのが根幹にありました。できれば新たに住むその地域の役に立てるような仕事がしたいと。

コミュニティバスの運転手さんをやってみたいなと思って、実は大型二種の免許も取りました。

 

地域おこし協力隊という制度自体は知っていました。玉野市にないことも知っていたし、自治体によっては年齢制限があって私にとってはそれがネックになっていました。50代で移住する人が取りうる選択肢じゃないだろうな、と思っていました。

7月にこちらに来て移住の準備をはじめた時に、玉野市が初めて地域おこし協力隊を募集するというニュースを玉野市の知人が教えてくれました。
「あ!これやん!」と思って、応募条件とかいろいろ全部調べて、「あ、自分がやりたい仕事がここにある!」と思って応募しました。

北島さん2
おすすめの観光コースを説明する北島さん

玉野の観光産業を市としてのもう1本の柱にしていきたい​

玉野の観光産業には、それを目的に海外から人が来るという程に強いコンテンツは残念ながらないと思っています。ただラッキーなことに直島にアートサイトがあって、そこへのアクセスは抜群に良い、この立地の良さはぜひ生かしたいと思います。アートサイト目的で立ち寄った人に1泊か2泊は玉野で過ごしてもらいたい。玉野で過ごす時間が面白かったから、次にアートサイトに行くときには玉野を拠点にしようと思ってもらいたいな、というのが僕の玉野の観光に対しての思いです。

観光客がたくさん来て泊まってくれた、嬉しいねっていうのもありますが、少なくとも玉野市が今後持続可能な市として生き残るためにお金を稼ぐひとつの柱、細いかもしれないけどもう1本の柱として観光業が生業とならないか、それを3年間トライできればいいなと思っています。

 


地域おこし協力隊として観光協会で働くことが決まり、暮らしの目線が変わったという北島さん。
馴染みのある玉野のオススメ観光コースをシチュエーション別で3つご紹介いただきました。

ドライブコース「思い出のループ橋」

ループ橋 → 藤井海岸 → 渋川海岸 → 王子が岳

北島さんの20代の思い出がつまったドライブコース。

玉野の町並みを眺めながらループ橋を下り、藤井海岸へ。
渋川海岸を見渡しながら王子が岳の裾野を進み、児島にぬけるドライブルート。
ポイントは必ず玉野から行くこと。その理由は、車は左側通行なので海沿いを走れることと、道沿いにいくつか駐車場があるので、車を停めればそこから海を眺めることができます。

季節や時間帯で見える景色が違うところもオススメの理由。そのまま王子が岳にのぼると瀬戸内海が一望できます。

「ここから先どこに行くのっていうと隣の市になっちゃうので玉野市のPRにはなりません(笑)30年前から私の定番コースです」

車がなくても玉野市をたのしむ「小高い山」

宿泊して翌朝チェックアウトまで時間がある方にオススメなルート。
玉野には小高い山がいくつもあって、少しアップダウンがあるジョギングコースとして楽しめます。

「私は小高い山を好んでジョギングしています。登っていくと瀬戸内を一望できるような良い景色が広がっていてオススメです」

玉野の夜を楽しむスナック街

宇野駅の近辺に点在しているスナック。
カラオケを楽しんだりできる昭和風スナックは、地元の方たちが営んでいます。地元の話や玉野あるあるなんかを聞けるかもしれません。

「玉野って歴史的に外から人がやってくることが多かった港町で、まず人が通過する。もうひとつは三井造船があって、そこで働くために九州や四国から玉野へ来る人も多かった。地元の人からは『どっから来たん?よそから来たん?』と聞かれますが、わりと受け入れられやすくて話しやすいですよ」

 


地域おこし協力隊の任期が満了する3年後はシーバス(コミュニティバス)の運転手も選択肢の一つと話す北島さん。3年かけて玉野市で自分にできることを模索するそうです。
30年の会社員経験で培った営業のノウハウが、玉野市の観光事業に新たな風を吹き込むであろう玉野市第1期の地域おこし協力隊。

ベテランでありながら新人の地域おこし協力隊・北島さんの今後の動向に注目です。