先輩移住者インタビュー 番外編
【対談】暮らしてみてどうだった?玉野暮らし1年目と15年目の本音トーク
玉野にたどり着いた理由
岡山県に馴染みのあった移住生活15年目の森さんと、昨年玉野市に移住してきた齊藤さん。
ベテラン玉野市民と新人玉野市民、お二人の移住のキッカケと暮らしについてお話を聞きました。
玉野暮らしのベテラン
森 さん(広島県出身)
ガラス作家×うのずくり実行委員長(たまののIJUコンシェルジュ)
倉敷芸術科学大学卒業時、玉野市にある駅東創庫の共同アトリエへの見学をキッカケに移住を決める。
ガラス作家として活動すると共に、玉野市への移住プロジェクト「うのずくり」(宇野に住んで+つくるという意味の造語)の実行委員長を務め、
移住希望者を「職住遊」すべての面でサポートしている。
玉野暮らし新人
齊藤 さん(東京都出身)
玉野市役所 移住担当
大学在学時、半年間休学し住み込みのアルバイトをしながら玉野市に滞在。卒業後、再び玉野市で暮らしたいと玉野市役所に就職。玉野暮らし1年目。
玉野市に移住したきっかけは?
齊藤 「ずっと東京に住んでいました。大学2年の終わりから半年間休学して留学する予定だったんですが、コロナで行けなくなってしまって。たまたまインスタでスタッフの募集をしていた宇野駅前のゲストハウスに住み込みで働いたのが玉野に来たキッカケです。岡山県のことは特段知識がなかったんですけど、なんとなく居心地がよさそうに見えたんです。実際に住んでみたらすごく住み心地もよくて。卒業のために東京へ戻ったのですが、やっぱり働くのは東京じゃなくて玉野だなと思って、戻ってきました」
森 「私は大学が倉敷で、6年岡山に住んでみて居心地がよかったのと、ガラス工芸をやってるんですけど、ちょうど駅東創庫のオープンを知って、いろんな作家さんと一緒にやってみるのもいいかなと思って。それで他を見ずにポンとやってきました」
実際に住んでみてのギャップはあったのでしょうか。
森 「2007年に越してきてアルバイトしながら制作活動をしていたんですけど、住んで2〜3年すると、なんか暮らしていてさみしいな、と思ったんです。日常的に自分の周りで友達とご飯を食べたりできるところがあったらいいなって。そんな時に『うのずくり』っていうクリエイティブな方の移住の支援をしましょうという案があって、自分が暮らしていて楽しい町になるなら私ができることはお手伝しようと思って、移住のサポートに関わるようになりました」
齊藤 「私の働いていたゲストハウスのオーナーも移住者なんですけど、それこそ森さんの紹介で移住されていて。そのオーナーが同じように移住者につなげてくれたり、移住者とつながるコミュニティでどんどん友達が増えていきました」
森 「私が来た15年前は、移住っていうとまだ聞きなれない時代で。でも元々玉野っていう土地は三井造船があったりと、外から来ている方をそこまで抵抗なく受け入れてくれて。私と一緒に歩いていたら、外から来ている方だろうと第一声で『どこから来たん?』って聞かれて、そこから会話が始まります。だいぶ私の周りは抵抗がなくなってきたかなと思います。」
玉野暮らし新人の齊藤さん(左)、玉野暮らしベテランの森さん(右)
玉野の「一番いいな」と思うところはどこですか?
森 「私はやっぱり制作できる環境があるので、このゆったりした時間の流れ方がいちばん居心地いいです。めちゃくちゃ情報量は多くないけど、まあ行ったらなんかあるみたいな、周りの人たちもいるけどそんなに干渉されないというか、適当にほっといてくれるみたいな、その自由度が私はいいなと。適度な田舎でバランスのよさが私には居心地がいい」
齊藤 「すごく単純なことなんですけど、空が広い!自転車通勤なので毎日広い空を見ながら、近所のスーパーを抜けた時に海がバーッと見えたりして、とにかく空と海が偉大だなって思います。それだけで生活が潤います。あとは、工場もあり山もあり、景色に有機質無機質が混ざっているところに玉野味を感じます」
森 「ぱっと見ではわからないんですけど、意外とみんな玉野愛がある。外から全然感じられないけど、ちょっと話してみるとすごい玉野愛がある」
齊藤 「そうそう!」
この先の玉野市、どうなって行くのが理想だと思いますか?
齊藤 「玉野市役所を受けた理由にもなるんですけど、玉野のこの感じが好きなので、これがずっと続けばいいなと思っています。人が減っても寂しくなっちゃうので、人口が減らないように、今の状態が続くように外から来てくれたらいいなと思います。
玉野はいいところなのにそこまで知られてない。東京の友達に玉野って言っても『どこ?』って言われることがあるので、それが寂しい。こんなにいいところなので、せっかくならもっと知られてほしいなという思いもあります」
森 「時間とともに歳をとっていくので、若い人たちがやりたい感じでいいと思ってて、この雰囲気が継続できるように若い人にも来てもらわないといけないし。それに加えて、いろいろ経験を積んだうえで最終的に帰りたいなと思った時の受け皿があればいいなと思っています。都会に住む方から『玉野に仕事があったら帰りたいのに』とよく言われるんですよ。都会の職種と玉野の職種ってボリュームも種類も全然違うので、帰りたいなって思ったときに『おかえり』と受け入れられるような、バラエティに富んだキャパがあるといいなって思います」
最後に「ここはちょっと」というところがあれば教えてください。
齊藤 「虫がいっぱい出ませんか?」
森 「ああ、季節によって。虫は田舎なんでね、山の方はムカデも出るし。場所や築年数にもよりますけど、山に近いと虫も出やすかったり、もともと湿地的なところだとムカデも出やすかったり。都会から来た方は普段虫とか出会わないと思うので、最初はね、『やだー』とか言ってるけど、だんだんみんな強くなって、ムカデとか火ばさみで掴んでいくようになっていきます(笑)」
齊藤 「ムカデはまだ遭ってないです・・・」
玉野暮らしベテランの森さんも玉野暮らし新人の齊藤さんも、
共通して『ゆったりとした雰囲気』が、住む前も、住んでからも変わらず気に入っていることが伝わってきました。
瀬戸内の港町「玉野市」
ゆったりと流れる時間や、広い空、海と山のコントラスト、
景色だけでなく住む人々の雰囲気が作り出す「心穏やかに暮らせる空間」がこの町にはあります。
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