本市は、“晴れの国おかやま”の中でも日照時間が長く、「晴れのまちたまの」と言われています。空が晴れているので、夜空に輝く星も美しく見えます。
玉野で星のように光り輝き、活躍する人「たまのスター」のインタビュー記事を連載しています。
第27回は、市内の産業を支える「玉野地区雇用開発協会」事務局長の森川友和さんです。
(取材日 6月1日)

事務局長 森川友和さん
(株式会社宮原製作所 取締役 経営企画部長)
一言で言うと、市内産業が必要とする労働力を確保し、雇用を促進することを目的に活動する団体です。具体的には、市やハローワークと連携して、就労人口拡大のためのイベントなどを企画・運営しています。一番大きな取り組みは、毎年夏に行っている高校3年生向けのイベント「マリン玉野産業フェア」の開催で、そのほか、合同企業説明会なども実施しています。
現在、製造業に限らず、運送や観光、サービス業など、市内69の多様な業種の企業から構成されています。
一番の課題は、若年層の雇用確保です。少子化問題に加え、大学進学をきっかけに人材が市外に流出することが多く、それが市内企業全体での慢性的な人材不足につながっています。特にコロナ禍以降、イベントへの参加事業所が倍増している状況からも、どの企業も人材確保に困っているのだと感じます。ただ、コロナ禍をきっかけに、学生の流れが地元志向に転じているようにも思います。市外からの就業者が減る一方で、IJUターン者を含め、地元で働く選択をする若者が増えてきました。学生たちが地元に残って働きたいと思ったときに、また、地元に戻りたいと思ったときに、「市内には魅力的な企業がある」と知ることができる環境を整えることが重要だと思っています。
株式会社宮原製作所で採用担当の仕事をしながら、宮原製作所が事務局を務める本協会に携わるようになって20年になります。
実は、私自身もUターン就職したケースです。大学から東京に出て就職し、その後きっかけがあって玉野に帰ってきました。久しぶりに地元に帰ってきて職を探す中で、造船業以外の市内産業について、あまり知らなかったことに気がつきました。市内産業が若者にあまり認知されていない状況は、現在でも同じだと思っています。「就労人口を増やすための第一歩として、まずは知名度を上げるところから」、あのときの気づきが、今の活動にもつながっています。
「マリン玉野産業フェア」は、高校3年生の生徒と保護者向けに、毎年7月に雇用開発協会主催で実施しているイベントです。1日で最大4社の人事担当者から、仕事内容や研修制度、求める人物像などの話を直接聞くことができます。様々な業種の話を聞けるので、参加者の興味の幅を広げる機会にもなっているようです。
市内には中小企業が多いですが、大企業でなければ、求職者の立場からはなかなか情報にアクセスしづらく、企業側もアピールが難しくなります。こういう場を設けることで、学生と企業をつなぐ窓口ができ、学生と企業の双方に有益な機会になると思っています。
これまで、若年層へのアプローチは高校3年生を対象に行うものとの認識があり、協会としても高校3年生のみを対象とするイベントを行ってきました。しかし、最近では、関係者全体で、小学生などのより早い段階からキャリア教育を行っていくべきだという考えが広まってきています。実際に、たまの・港フェスティバルでの「玉野工場万博」や市内小学生に向けた工場見学バスツアーなど、若いうちから市内産業に触れてもらう取り組みが新たに生まれています。単発のイベントとして終わらせるのではなく、就職を考える年齢になるまでの様々な段階で市内産業に触れる機会をより増やすことで、将来の選択肢として地元企業を選んでもらえるような仕組みづくりを目指しています。
東京から帰ってきて思うのは、まずは、渋滞が少ないこと。通勤時間が短くて済むので、浮いた時間を余暇に充てられます。また、風光明媚で、自然を感じられるところもよいところだと感じています。空や朝日もとてもきれいで、毎朝、出勤時に会社から見える青空を見て、「玉野に帰ってきてよかった、今日も頑張ろう」と思います。
玉野市は、大型船舶ディーゼルエンジンの分野で、日本トップクラスを誇っています。今の若い人たちにとっても、人生を懸ける価値が十分にある企業がたくさんあることを、これからもっと伝えていきたいと思っています。
「マリン玉野産業フェア」での印象的なエピソードとして、以前「大学進学するので、すぐには就職しないけれど、卒業後には玉野に戻って就職したい」と伝えてくれた参加者についてお話しいただきました。将来の地元就職への強い熱意を聞いて、森川さんご自身も、「活動を続けていてよかった」と思われたそうです。
慢性的な人手不足のなかでも、コロナ禍以降徐々に地方志向が高まっているという話を聞いて、私自身も、同じくコロナ禍での分断をきっかけに、将来のことを考え「家族の住む地方で就職したい」と、思い切って市内への移住を決めた就活時代を思い出しました。肌感覚としても、親の介護や子育てなどの理由で、地方移住の選択をするハードルが以前よりも下がっているような気がします。市内外の人が玉野で生きていきたいと思ったときに、様々な面でいつでも誇れる玉野であるよう、これからも玉野の魅力を守り発信していきたいと、思いを新たにする機会となりました。
広報たまの令和8年7月号