取材日:令和5年11月30日
1987年(昭和62年)玉野市出身。玉小学校、玉中学校、玉野高校を卒業後、京都産業大学経営学部へ進学。同大卒業後、2010年(平成22年)に地方銀行へ就職。2014年(平成26年)に退職後、宮原製作所へ就職。下積みを経て、2020年(令和2年)に同社の代表取締役社長に32歳で就任。
宮原製作所は1924年(大正13年)に創業し、三井E&Sの協力企業として、船用ディーゼルエンジン部品の組立や機械加工などを行っています。
私は、入社後、組立作業からはじまり、機械加工や資材調達、営業などを経験しました。それまで機械に触れたことはなく、作業は初めての経験だったので最初は失敗ばかりでしたが、先輩に直接教わりながら習得しました。
ものをつくる仕事はお客様の顔が見えないので、だからこそ、お客様への責任感を果たそうと意識しています。
この会社は、曽祖父が創業し、私で9代目になります。今までに親族以外も会社を継いできています。
会社の真横が家だったので、小さいころから会社の様子を見聞きしていて馴染みもあったことと、前職で様々な企業や工場を見た中で、家業を強く意識したことがきっかけです。
当初は、工場なので、「3K(きつい、汚い、危険)」かと思っていたら、工場内は整理整頓され、きれいで、社員の意識が高いことに驚きました。作業をする上でけがをしないように環境を整備するのは基本だと実感しています。
また、日本が世界に誇ることの一つに集積された海事産業があり、造船や舶用工業など玉野の産業がその一端を担っていることに気づかされました。
私は敷居の低さと、ふところに飛び込みやすい性格が強みだと思っています。社長に就任してからは、アイデアを出しやすい組織の雰囲気作りを心がけています。中小企業の強みであるスピード感を活かして、社員のやりたいことが実現できる職場にしています。
一番に、家族や同僚、仲間を大切にしています。
そして、お客様が何を求めているか、自分に何ができるかを常に考えながら行動しています。私1人ではできないことも、同僚や仲間がいるからこそできるので、社員を大切にしています。
また、船には数万~1,000万以上もの部品が使われて、それらが一緒になって船が完成します。自分たちがつくっているのは、船の心臓部ですが、その部品にも前後の工程があるので、ものづくりに関わった人たちの苦労を考えるようにしています。
大型の舶用エンジンの出力は10万馬力以上で、これは日本中の馬を集めても足りない出力です。また日本の貿易量の99%を船が担っているので、我々の仕事が間接的に日本の暮らしや産業を支えていると思っています。
弊社の従業員は、男性95人に対して女性が11人います。女性の中には派遣社員として働き始め、視野が広く活躍してくれているので役職についていただいた人もいます。
また、宮原製作所には、上海に工場があり、中国や韓国など海外に取引先があります。仕事や社員旅行で海外に行くことも多いので、貴重な経験になると思います。
家族と過ごす時間を大切にしているので、仕事以外の時間は家族と出かけたり、子どもと遊んでいることが多いです。どうしても仕事や会社のことを常に考えてしまうので、誰かと接することで気持ちを切り替えるようにしています。
会社の目の前が藤井海岸なので、瀬戸内海や多島美がいつでも見られます。
さらに、子どもとでかけるのに最適な深山公園やおもちゃ王国があったり、趣味のゴルフ場があったりと近場で楽しめるのは良いと思います。
産業振興ビルの1階の同級生がしている焼肉店「雲龍~unryu~」がおすすめです。
人生において働く時間は2~3割です。多いと感じるか少ないと感じるかは人それぞれですが、この2~3割の時間が人生に大きな影響を与えることは間違いありません。
「仕事だから」と割り切ってしまえばつまらなく感じるでしょうし、楽な仕事も同様につまらないと感じるでしょう。
しかしながら、目の前の仕事を楽しくさせることは可能です。自分にとって楽しいと感じるものは何か考え、探すことで将来が変わってくると私は思っています。
もし、やってみて合わないと感じれば変えれば良いだけです。何でもやってみることが大事です。ただ、一歩が踏み出せないという人は、今はあえて踏み出さなくても良いと思います。不思議なもので、必ず踏み出すタイミングがきます。そのタイミングを逃さないように準備はしておいた方がいいかもしれませんね。
昔はあったはずの選択肢が今はなくなっているかもしれませんが、新しい選択肢も生まれているはずです。どうぞ、心ゆくまで自分の幸せを追い求めてください。そしていつか誰かを幸せにしてくださいね。