本市は、“晴れの国おかやま”の中でも日照時間が長く、「晴れのまちたまの」と言われています。空が晴れているので、夜空に輝く星も美しく見えます。
玉野で星のように光り輝き、活躍する人「たまのスター」のインタビュー記事を連載しています。
第6回は、パリ2024オリンピックに出場し、チームスプリント5位入賞(日本新記録)、個人スプリント7位入賞と活躍した、日本競輪選手会岡山支部(玉野市)所属の太田海也選手を紹介します。
(取材日 8月22日)
太田 海也 選手
子どものころから体を動かして人と競うのが好きでした。サッカーやレスリングなど、色々な競技をしてきて、高校生のころボートを始めましたが、大学で断念しました。実家のある岡山へ戻り、自転車を買いに行ったことがきっかけでサイクルショップに就職し、社長から自転車レースへの参加を勧められ、その大会で優勝したことがきっかけです。
初めての大会のために、自転車で山を登るという練習を繰り返しました。自転車で山を登るタイムがネット上に出ていたので、そのタイムを目安にして、貝殻山などの山を朝も夜も誰よりも速く登ろうと何度も挑戦しました。その結果、初めての大会での優勝につながったと思います。
体を動かした方が気持ち良いです。運動すると心の状態がポジティブになるのですが、その気持ちが自分の好きな心の状態なので、運動しています。
早期卒業するか悩みましたが、先輩方にも相談し、誰にでも与えられるものではない権利が得られたので、実践での経験値を増やすため、早期卒業を決断しました。
令和3年5月に日本競輪選手養成所に入所し、6月に行われた1回目の記録会で、スピードと持久力が特に優れている人に贈られる「ゴールデンキャップ※1」を獲得。この結果を受け、早期卒業候補者として認定されました。9月に行われた2回目の記録会でもゴールデンキャップを獲得したことや、競争訓練で早期卒業要件をクリアする優秀な成績を修め、本人も早期卒業の意思表示をしたことで、12月の競輪選手資格検定受検を合格したうえで、養成所早期卒業者として認定されました。12月22日に早期卒業証書授与式が行われ、他の同期に先駆け、中野慎詞選手と一緒に養成所を卒業しました。
※1 自分の力を測るためのタイム測定会で、成績によって帽子の色が振り分けられます。金(スピードと持久力が特に優れている)、白(スピードと持久力が優れている)、黒(スピードはあるが持久力は苦手)、赤(持久力はあるがスピードは苦手)、青(スピードと持久力共に劣る)〈日本競輪選手養成所ホームページより一部引用〉
中高生のころは、「メンタルが弱い」と言われていました。練習や実践を重ねるうちに、自分で出せる力が分かりました。自分でコントロールできないことを気にしても仕方がないので、目の前のレースに集中するようにしています。「誰よりも強くありたい」と意識しています。
オリンピックはトップアスリートが競う場所で、どういう人が集まるのか興味がありました。どんな競技でも出場したいと思っていました。
アマチュアのころから玉野競輪場や玉野市内の街道でも練習していました。特に、海沿いは自転車で走っていて気持ち良いです。玉野競輪はバンクや走路、控え室など環境が整備されていてとても過ごしやすいです。
オリンピックでは、日本の競輪で使用する自転車と違いますが、練習方法は変えずに、いつもの練習がナショナルチーム(伊豆で練習)でも発揮されていると思いました。
チームスプリント※2は、自分の能力を100%出そうと思って挑みました。走者がどの順番で走るかという戦略も重要で、第1走者、第2走者、第3走者の選手それぞれ別の能力が必要です。第1走者はスタートダッシュ、第2走者はスピードを最高速度まで引き上げる、第3走者はスピードを維持する持久力が必要です。コーチ陣が私の能力を見て第2走者に選びました。
メダルを目指し、オリンピックで世界の相手と戦ってみて、練習をしてきたことは間違いない、劣っていないと、自分の練習に自信が持てました。
私たちは「メダルを取りに行く」という気持ちで臨みましたが、メダルを取ったチームは、「金メダル」を取りにきて、「銀メダル」や「銅メダル」を獲得していたので、「金メダルを取る」という気持ちが必要だと思いました。
※2 自転車トラック競技の一つ。3人1チームで1周250mのトラックを3周するタイムを競う団体競技。1周ごとにチームの先頭の選手が隊列から離れていき、最後の1人がゴールしたときのタイムが優れたチームが勝利します。
所属する地区などで分かれて、ゴール前まで走る「ライン※3」という戦法があり、先輩方を含めて、自分たちのポジションの役割をやり切って勝てた時は、他の競技では味わえない喜びがあります。先輩が後ろについてくれているという心強さから、自分の力以上のものが出せるときもあり、チームで120%の力が出るときもあります。
日本の競輪はチームで手をとりあって戦いますが、世界では個人の戦いのため、レースの展開が違います。そのため、走り方も変わってきます。世界の強豪選手は、自分の力をしっかり把握しているという印象があります。
※3 「ライン」は、競輪レースを展開する上で最も重要な走行戦法です。各選手が個々の脚質に応じ、全力を発揮して勝利するため、他の選手と連携して「ライン」を組みます。1人の選手を抜くよりも、複数の選手で組んだラインを抜き去るのは大変なこと。また、選手たちがラインを組むもう1つの理由は、他のラインに対抗するためです。レースの終盤まではライン同士による壮絶な戦いが繰り広げられます。そして、最後は個人対個人の壮絶な戦いが繰り広げられます。〈KEIRIN GUIDEより一部引用〉
応援してくれる人がいたから、オリンピック後も立ち止まらずにいることができました。オリンピック後、すぐに日本の競輪のレースに出場して良かったです。「オリンピック応援してたよ」「頑張った」などの温かい声をかけてもらい、うれしかったです。今後も日本の競輪を引き続き頑張っていきたいです。9月13日から行われる「第40回共同通信社杯(G2)」に照準を合わせて挑みます。
4年後のオリンピックについては、今は体も少し心も疲れているので、休養してから、8月26日に行われるチームミーティングで自分の気持ちを伝えて、みんなで決めたいと思います。
今回オリンピックに出場して、「応援が力になる」ということが身をもって分かりました。チームスプリントでは、体も疲れていて心が折れそうになっても、自分だけで臨んでいるのではないと、応援が力になり走り切れました。自分の力を発揮できたのは、見ている人がいたからこそです。応援をメダルに代えられたら良かったですが、自分の中では「やりきった」という気持ちです。玉野市を挙げての応援ありがとうございました。
今後も応援してくれる人に感謝し、感動させられるような走りをしていきたいです。これからも応援お願いします!
市長表敬訪問の際には、市長らから、「玉野市ゆかりの選手がオリンピックに出場していることが素晴らしい。テレビで応援している時に、競技に真摯に向き合う姿勢を見てファンになった」という声がでるほど、爽やかな好青年の太田選手。
何度も「応援が力になった」「応援してくれる人の声が救いだった」「見ている人がいるからこそ力を発揮できた」「応援してくれている人がいるから立ち止まらずにいれた」など、応援に対しての感謝の気持ちを話されていました。
競輪のレースを始め、オリンピックの舞台でも活躍するメンタルの強さを見習いたいと思い、「精神力をどうやって鍛えたか」と聞きましたが、「中高生のころは弱いと言われていた」と聞き、意外でした。昔から強かったのではなく、「世界一過酷な練習をしてきた」という自信や、「誰よりも強くありたい」という思いが心を強くしてきたのだと思いました。
太田選手は競輪を始めて、まだ3年目です。これからの活躍を楽しみにしています。玉野市にゆかりのある選手として皆さんも一緒に応援しましょう!
広報たまの令和6年10月号