本市は、“晴れの国おかやま”の中でも日照時間が長く、「晴れのまちたまの」と言われています。空が晴れているので、夜空に輝く星も美しく見えます。
玉野で星のように光り輝き、活躍する人「たまのスター」のインタビュー記事を連載しています。
第7回は、平成29年に玉野市滝に鍛刀場(たんとうじょう)を構え、日本刀の全国公募展「2024年度現代刀職展」作刀の部で、4月に最高クラスの特賞「薫山賞」を初受賞された、刀鍛冶・曽根寛さんを紹介します。
(取材日 8月20日、9月19日)
曽根 寛 さん
小学4年生の時に、テレビで刀を見て興味を持ち、日本刀の名匠を多数生み出した刀鍛冶の本場である長船(瀬戸内市)へ父に連れて行ってもらったことがきっかけです。
高校卒業後の当時、備前伝(※1)で有名だった重要無形文化財保持者の隅谷正峯(すみたに まさみね)氏の作風や刃文に惚れ込み、弟子入りを願い出ましたが、大学を卒業してから来なさいと言われました。大学卒業後も気持ちは変わらず、隅谷氏へ連絡しましたが、そのころ隅谷氏は体調を崩していたため、一番弟子の宮入法廣(みやいり のりひろ)氏に弟子入りしました。
(※1)平安時代中期から室町時代にかけて、現在の岡山県東部にあたる備前国で発祥した日本刀の制作法
一般の人からの注文や神社からの依頼で刀を作っています。
刀は工程がたくさんあり、一人では作れません。刀の原料となり純度の高い鋼である「玉鋼(たまはがね)」は、島根県で「たたら製鉄」という日本古来の技法により、3日3晩不眠不休で砂鉄を精錬して作られます。玉鋼を刀の形に伸ばす時に使う炭は、他の炭と比べて高温になる「松炭(まつずみ)」という炭で、岩手県の炭焼き職人の手作業で作られています。
まず、玉鋼をたたいて伸ばして折り返す作業を15回ほど繰り返す「折り返し鍛錬」を行い、全体の炭素量を均一にします。その後、手作業でたたいて伸ばして刀の形に成形していきます。空調のないところで火を扱うので、主に冬に焼入れを行いますが過酷な環境です。鍛冶研ぎまで終わったら、研ぎ師に刀を磨きに出します。さらに、鞘師(さやし)やはばき師などの手によって刀に装飾がされ、一振(※2)の刀ができます。このように、それぞれの工程で職人がいるからこそ、質の高い刀が作れています。
また、一振の刀を作るのにいくつかの刀と同時進行で作り、約半年かかります。10振作っても傷や割れなどですべて納品できるとは限りません。自分の名前を入れて世に出すので自信を持って出せるものしか出していません。
(※2)(読み方)ひとふり。1本のこと。
大学卒業後、師匠がいる長野県で弟子入りしてから6年目で文化庁主催の「美術刀剣刀匠技術保存研修会」を修了しました。この作刀承認が得られないと刀は作れません。筆記試験と実技試験があり、実技試験では玉鋼から短刀や脇差しを8日間かけて作ります。承認を得られた後は、お礼奉公として、師匠の元で居合刀などをさらに2年ほど作りました。独立後は瀬戸内市長船で4年間、島根県出雲市で8年間活動しました。島根では、玉鋼を作る作業も担ったので過酷さは身を持って体感しています。
倉敷市出身なので県内で腰を据える場所を探していたところ、知り合いの紹介で滝(荘内地区)に工房を建てました。玉野で活動して7年になります。工房は田んぼや畑に囲まれて静かで集中でき、刀を叩く大きな音も近隣に迷惑をかけなくてすみます。また、工房の周辺では霞が出て幻想的なところが気に入っています。
年に1回に開催される日本刀の全国公募展「現代刀職展」に初出品したときは入選でした。刀鍛冶になって27年の間に16、17回程度出品し続け、35歳のときに努力賞を受賞しましたが、あとは入選が4回、入賞が9回でした。傷が出て出品できない年もありました。今回、最高クラスの特賞「薫山賞」を受賞し、あきらめずに頑張って続けて良かったと思います。完成した時、手応えはあまりなく、普通よりちょっと出来が良いと思っていましたが、「まさかここまで評価してもらえるとは」と驚きとうれしさでいっぱいです。
刃長78.3cmの「隅谷丁子(すみたにちょうじ)」と言われる刃文が特徴の日本刀で重さは1.2kgです。
「隅谷丁子」は、重要無形文化財保持者の故隅谷正峯氏が極めた、花がほころんだような刃文で全国でも取組む職人が少なく珍しいものです。
毎年、コンクール出展のために色々試行錯誤し、“どつぼ”にはまってしまいましたが、基本に忠実に、初心に返ろうと思って作った刀でした。
工房の近くにある早瀧比め神社の桜です。休みの日に1日ゆっくり過ごしてリフレッシュしています。
初めの基本が大切です。工程の1つでもうまくいかないと、その後どんどん歪みが出てきてしまいます。そのため、工程一つひとつに基本を大切に緊張感を持って取り組んでいます。
刀は美人に例えられますが、形の美しさを見てもらいたいです。反り方や刃文のバランスなど、佇まいが美しい刀というのは、スッと目に入ってくると思います。
他の炭でも試しましたが、刀を作るのに最適な高温になる「松炭」を作る職人が東日本大震災の被害や高齢化の影響で激減していて5年後はいないかもしれません。また、他の職人も減ってきており、刀の継承が今後何年できるか分かりません。その中でも、刀を作れる限り「隅谷丁子」を進化させていきたいです。もっと雰囲気良くなるよう取り組んでいきます。また、最高峰と言われる刀が多く作られた、鎌倉時代中期の刀に近づけるよう、精進していきます。
受賞した作品は展示中とのことで、以前作った似た雰囲気の刀を持参していただきました。ケース越しではなく間近で刀を見たのは初めてでしたが、息をのむ美しさでした。色々な刃文がありますが、「隅谷丁字」は言われているように、ふんわりとした模様で気品高いと感じました。また、刀の継承が今後何年できるか分からないということを聞き、今後当たり前に続いていくものではないのだと危機感を感じました。たたら製鉄も一時は途絶えましたが、機械では人の手で作る質の高さが出せないとのことで復活した経緯があります。刀は古墳時代から作られ、鎌倉時代に最盛期を迎えた歴史がありますが、この歴史と文化が続くよう願っています。
また、アニメなどの影響で、女子中学生が「玉鋼」の実物を見たいと工房を訪れたことがあったそうです。ビックリしたけど興味を持ってもらえることはうれしいと話されていました。今後も玉野から名刀が生まれることを楽しみにしています。
広報たまの令和6年11月号